シリアで見たキリスト教会
21世紀COEプログラムによる活動記録
シリアで見たキリスト教会
同志社大学大学院神学研究科後期課程 津田一夫
第一章 はじめに
2007年8月2日~14日、四戸潤弥教授をはじめ学部、院生など総勢7人で夏期研修としてシリアを訪れた。関西空港よりドバイ経由にて3日早朝首都ダマスカスに到着。約11日間におよぶ研修の旅が始まった。最初の3日間および最後の2日間はダマスカスを拠点に講義と視察。あいだのの6日間はパルミラ、デリゾール、アレッポ、ウガリット、ラタキア、タルトゥースなどユーフラテス河以南の国内をめぐる視察の旅であった。
内容的には、現代に生きるイスラム教、キリスト教の方々との交流や講義。また視察としては、イスラム教、キリスト教、そして古代の諸都市の遺跡をめぐるものであった。11日間という短い期間にしては、内容は相当な量に及んだ。私自身はそのすべてを消化することは難しかったが、はじめてのシリアとの出会いであることを考えれば、むしろ多くの課題やテーマを発見できたことを喜びたいと思う。また、蛇足であるが、世界史の教科書で名前を聞き続けてきたユーフラテス河を生まれてはじめて見ることができ、さらにはそこで恥も着衣も脱ぎ捨て、シリアの透明な日光をあびながら思いがけずしばしの水泳を楽しむことができたことも喜びたい。

彼らはいったい、どのように暮らしているのか。特に昨今の国際政治から受ける宗教に関する先入観を考えると、実際にあって確かめてみたい、そんな思いを少し実現できたのも今回の収穫のひとつであった。
さて、以下では旅の記録として、そのようなシリアでのキリスト教徒との出会いについてレポートしたいと思う。
第二章 Safitaでの出会い
国内遺跡等をめぐる視察旅行の最終日の11日。地中海沿岸地方、タルトゥースから南東へ30kmにあるサフィータという町に宿泊した。レバノン山より続く小高い丘の上に位置するこの町は人口約33,000人とのこと。ほとんど宿泊のために立ち寄った感のある町だったが、夜ホテル近くの唯一のスーク(商店通り)を歩いてみて、驚いた。ほとんどの女性が髪をなびかせて歩いている。スカーフをかぶっていないのだ。何気なく町で出合った人に聞いてみると、この町は多くがキリスト教徒なのだという。
スークをさらに進むと、午後8時すぎだというのになにやら大勢の人が集まっている様子。近づいてみると、キリスト教会であった。何かの集会が終わったらしい。幸いなことに、しばらくして集会の後片付けを終えた女性の方々に教会の前で約1時間話を聞くことができた。ちなみにシリアでは夜、気温も涼しくなったころ、外でシャイ(紅茶)やカフワ(トルココーヒー)を飲みながら、やおら話し込むのは日常の一こまである。
オウラ(Oula)という一番若い14歳の女の子が入れてくれたおいしいカフワをいただきながら、最年長は86歳という4人のご婦人方と教会の長老であるらしい70代の男性も交えながら、以下のような話を聞いた。
ちなみに英語が分かるのはオウラただ一人だったので、内容は一般的なものにとどまったが、学校で学んだだけという英語で日本で言えば中学2年生がほんとうによく通訳してくれた。

―いつも、こんな夜に教会で集会をするのですか
いえ、この時期は特別なんです。マリア様の昇天記念日の季節でね。8月の1日から15日まで毎晩ここでミサをするのよ。
―こちら何教会ですか。
たしかギリシャ正教会よ。
―ほかにどんな教会がこの地域にはありますか。
そうね、ローマカトリックもあるし、正教会も沢山あるし…
―どうしてシリア人なのに「ギリシャ」正教会に通っているんですか。
特別な理由はないわね。昔からだから。でも、来週は向かいにあるカトリック教会にいくし、いろいろな教会にでるのよ。どこにでてもいいのよ。同じクリスチャンだから。カトリックの人がこちらに来ることもよくあるわよ。特別、どこときまっているわけではないわ。
―こちらの会堂は装飾も綺麗ですね。随分と歴史もあるようですけど、建ってどれくらいですか。
また、日本では教会を建てたり修繕するとき、みなで特別に資金を献金しますが、こちらではどうですか。 献金ですか、それともどこか本部からお金がくるのですか。
まだ、それほど古くないわ。100年ちょっとよ。もっと古い教会もあるわよ。お金は、もちろん私たちが献金するのよ。でも、特別な献金というよりは、いつもミサで各自が行う献金によって賄うのよ。
―教会はどれぐらいの歴史があるのですか。
いま、教えたでしょ
―いや、会堂という意味ではなくて、皆さんのキリスト教の集まりの歴史です。
たとえば私も日本のクリスチャンですが、私たちの教会は百数十年前に伝わり、始まりました。
あぁ、そういう意味ね。それは昔からよ。
―昔って、何百年前くらいですか。
何百年…って? もっと昔よ。もっとずっと昔。ほら、イエス様もパウロもみんなここシリアに伝道しに来たでしょ。そのときから。
―それは失礼いたしました。なるほど、イエス様のときから教会はあるのですね。
そうよ。
―ところで、オウラさんのような若い方は教会には沢山おられるのですか。
ええ、いますよ。学校も教会系の学校にいっていますし、そこではみんなクリスチャンです。もちろんいろんな教会から来ています。
―夏には、若い方のキャンプや旅行などあるのですか。
はい、あります。私はまだ行ったことないのですが、できれば行ってみたいと思っています。それと、教会の大人の人たちは、このマリア昇天記念の最後にみなでバスに乗ってマールーラ(ダマスカス北郊のキリスト者の村)の教会に行くのが毎年の恒例なんです。今年も行くそうです。
―楽しそうですね。マールーラは私も先日、立ち寄りました。
では、シリアのクリスチャンの方々は地域間でも交流が盛んなんですね。ところで、ひとつ知りたいのですが、日本では、シリアはイスラム教の国というイメージがあります。
シリアで皆さん方のようなクリスチャンが生きていくのに困難はないですか。
まったく、ありません。わたしたちは同じシリア人。みな友達です。いつも協力し、助け合って一緒に暮らしています。この町にもそんな友達のイスラム教徒がたくさんいますよ。みなとっても仲がいい。
―今晩は、お話できてうれしく思いました。記念に一緒に写真をとらせてくれませんか。
ええ、どうぞ。カフワもう一杯いかが。
第三章 いくつかの教会にて
このほかにも今回のシリア旅行の期間中、キリスト教会との出会いがあった。どれも旅程の時間の限られた中であったので内容はなかなか満足いくものにはならなかったが、それでも実際に目で見、耳で聞いたことごとには言葉にできないものも含めて、いくつも考えさせられるものがあった。以下のような教会である。
シリア到着から3日目の5日(日)、ダマスカス旧市街にある長老派教会「National Evangelical Church of Damascus」を訪問した。日曜礼拝後の忙しい時間にもかかわらず、主任牧師のブトロス・ザウール 師が我々一行を迎えてくれ、信者のコーヒータイムの会場でお話を伺った。
ザウール師(左から3番目)と彼は話した。

キリスト者とモスレムの人々との関係は良好である。それは、単に組織間の書面上の問題や教義的なことではない。そうではなく、わたしたちは現実に対話を行い、もう2度も4度も共に祈り、一つのパンから共に食べ、一つの杯から共に飲んでいる。私たちは自分たちをマイノリティーだとおもったことはない。大統領は新年の時期にキリスト教の代表者を招待し、また政策アドバイザーの一人はキリスト者でもある。」
あるキリスト教国家がイスラム諸国に不当とも言える干渉を行っていますがと質問すると、彼は「私たちはクリスチャンとしてアメリカ的文化の中に育った。しかし、今あの国の大統領の行っていることについては、私たちは認めることはできない。
シリア・レバノンの長老派の大会からは抗議声明も出された。7・11アメリカ独立記念日に大使館からくる招待状は、もう5年も拒否し続けている。」
バス旅行の立ち寄り地アレッポで夜間散策中、おおきな教会があった。鍵が閉まっていたので、話は聞けなかったが、おそらくローマカトリックと思われる。

今日は各地から集まって交流試合。どの子も声は大きく明るく元気だ。女の子も、ジーパンにシャツ姿。世界中どこでも見かける若者とまったく同じに見える。
同志社一行もしばし若者たちにそれぞれ話しかけ、交流を深めた。印象的だったのは、試合会場の真向かいにアレッポの大モスクの尖塔が光に照らされ、ひときわ大きく教会を見下ろしていたことである。
旅行最終日の晩、ダマスカス城壁沿いの聖パウロ教会を見に行った。
パウロが籠に乗りロープで吊り下ろされた、あの場所を記念する教会だ。教会は鍵が閉まっていたが、その裏に回ると、キリスト教地区が広がっていた。
みな夕涼みで、外でおしゃべりやコーヒー、子供はかけっこと思い思いに過ごしている。道を尋ねると、子供たちはどこまでも一緒についてきてくれた。不思議だったのは、地区の辻辻ににお地蔵さんがたっていることだ。もちろん、日本のお地蔵さんとは違う。よくみると、それはマリアやイエスの像だ。人々はそこに花などを並べて、綺麗に飾っている。
えっ? キリスト教は偶像礼拝を禁止しているのではって? まぁまぁ、かたいことは言わずに(下の写真3枚)

第四章 論考「イスラム社会のキリスト教」
イスラム社会にキリスト教会があること自体驚きであったのに、それが相当な生命力を持って今もなお、そしておそらくこれからも生きていくと思われる。一体何がそれを可能にしているのか。もちろん今回の短い旅行では結論的なことはほとんど言えないのだが、考えうる理由を絞りだし、今後の検討課題としたい。
その理由を考える際に、我々はまずは大きく外的要因と内的要因とに分けて考える。外的要因とは教会の存続を可能にする、その背景となる周囲の状況である。また内的要因とは教会の内部にある特徴である。その上で、もっとも大きな欠くことのできない要因は何か、考えてみたい。
① 多様性
様々な意味でシリアは多様な国家である。民族的には、アラブ人が85%、他にアルメニア人、クルド人、パレスチナ人がいるといわれている。また宗教的には、イスラム教 85%そのうちスンニー派70%、アラウィ派12%。キリスト教は13%という。(前掲、統計による)
このほかにドゥルーズ教徒、さらにキリスト教のなかにも、プロテスタント系、ローマカトリック系、正教系、ネストリウス派などがある。これほどの多様性が存在していることが、特定の宗教に対する排除の論理が働きにくい前提条件になっているとも考えられる。ただし、ユダヤ教徒の存在については、かつて相当数の人口がいたとされるが、最近は極端に減少しているという。今回のわれわれの調査でも存在の確認が困難であった。これについては、極端に先鋭化した政治状況という別の要因があるため、分けて考えるべきであろう。
② 政治
現大統領はその父である前大統領も含めて、少数派のイスラム教アラウィ派である。それにより少数派宗教への寛容政策がとられる可能性は高くなる。これも要因の一つであろう。
③ イスラム教

内的要因は、拙速な結論は避けて、今後も吟味をしなければならない課題であることを承知していただいた上で、いくつかの予想されるテーマとそれに対する現段階で考えられる解釈とを列挙してみたい。
① キリスト者の自己理解
「イエス様の時代からここには教会がある」。サフィータでの調査の中で現地クリスチャンがいとも当たり前のように語っていたこの言葉は、特に日本から来たキリスト者には率直な驚きであった。これが厳密に歴史資料的にどうかということも重要だが、それよりもむしろ、一般キリスト者の素朴な自己理解のなかにこういう意識が根付いているということは、当然のことながらキリスト教会の持続的形成力にとって意味をもつはずである。同種の言葉を現地を案内してくれたイスラム教徒のガイド・マフムード氏よりも別の機会に聞いた。
② コミュニティー
キリスト教は少数者でありながらほとんどの場合コミュニティーを形成している。そこには商店があり、生産があり、娯楽があり、学校があり、教会がある。夜になると、人々は軒先にテーブルを出し、老若男女がお茶を囲み、談笑する。この中でそれぞれの世代は育て、育てられている。一見、当たり前のことだが、信仰共同体の継続にとってこの意味もまた大きいと思った。
③ 教義
キリスト教会であれば、とうぜん何らかの教義もあるだろう。今回の短期調査では、教義のもつ社会形成的力については分析することはできなかった。教義が教会にとって重要であることは言を待たない。しかし、教派的教義がどこまで有効か疑問に思う機会もあった。「私たちはクリスチャンだから、どこの教会にも行ってもいいんだよ。」とサフィータの老女が明るく言った。決して悪気はない。教義が重要であることと、教義を超える生命力をもっているかどうかということは、決して二者択一ではない。そして、信仰の生命力はときに教義を超えているのではないか、とさえ今回感じたことは深読みしすぎだろうか?
④ 礼拝
礼拝はどこも人が集っていた。また、マリア昇天記念期間であったこともあるが、サフィータではいわゆるミサの時間が終わっても、礼拝に出られなかった人がそれぞれ教会に来て、マリアやイエスの象徴物に口付けし、それぞれの仕方で礼拝をしていた。
⑤ 民族
キリスト、イスラム、双方に互いのことを聞いても「友達」「良い関係」という言葉が返ってくる。日本で想像するような宗教による敵対など片鱗もなかった。現地に来て良く見、よく考えてみれば、ある意味不思議はない。どちらも同じ顔かたち、同じアラビア語を話しているのだ。宗教とは別次元の民族という次元では両者はなおも多くのものを共有している。まったく仮説的にいうならば、どちらの宗教も両者の民族という共通の次元は温存する形でシリアという国に広がっていったのではないだろうか。これは今後ぜひ、研究したいテーマである。

イスラム社会におけるキリスト教会の存続を可能たらしめてきた「もっとも大きな要因」といったが、なかなか難しい。おそらく上記にあげたもの、またはそれ以外の気づかぬ要因も含めて、多層的にシリアのキリスト教会に影響しているのだろう。
しかし、その中でも我々が今回注目したいのは、コミュニティーの存在である。ダマスカスのキリスト教徒地区には「お地蔵さん」まであり、地域の性格を主張していた。
地域では毎晩、暑さから開放されたひと時の喜びを味わいながら、人々は一斉に戸外に集い、おしゃべりをし、子供にまなざしをむけている。やさしい光に照らされた教会の屋根の十字架がそれらを静かに見守っている。サフィータでもしかり。個人個人の内面的信仰を懐深く包み込みながらユフラテの河のようにゆったりと流れる幅広な信仰の時間がそこにはあるように感じた。
この時間こそがシリアの教会を「イエス様の時代から」守り続けてきたのではないだろうか。
P. K. ヒッティ『シリア 東西文明の十字路』 小玉新次郎訳 紀伊国屋書店 1963年
H.クレンゲル『古代シリアの歴史と文化 東西文化のかけ橋』五味亨訳 六興出版1991年
清水紘子 『来て見てシリア』 凱風社 1998年
G.ダウニー 『地中海都市の興亡 アンティオキア千年の歴史』小川英雄訳 大進堂 1986年